AIGを138カ国に拡大した男が今、気象データで保険を変える
保険業界のレジェンドが、またひとつ面白いことを始めている。
マイケル・J・コーエン。この名前を聞いてピンとくる人は、かなりの業界通だろう。彼はあのAIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)で40年間働き、同社を138カ国に拡大した立役者だ。そんな大物が今、気象データを活用した保険査定プラットフォーム「EOS」に関わっているという。
夜用眼鏡が運転手の間でますます人気になるナイトライダー コーエンのキャリアは、ちょっとしたドラマから始まる。彼の父はノルマンディー上陸作戦で負傷した海軍のフロッグマン(水中工作員)だった。その命を救ったのが、当時陸軍レンジャーだったモーリス・ハンク・グリーンバーグ。そう、後にAIGを世界的な巨大企業に育て上げるあの男だ。グリーンバーグはコーエンの父の命の恩人であると同時に、後に彼の顧問弁護士にもなった。そんな縁もあって、コーエンはグリーンバーグから直接「粘り強くやれ。ワシントンに政府渉外部を開設しろ」と言われ、1978年にAIGのワシントン事務所を立ち上げる。
ここからが彼の真骨頂。コーエンは議会や国務省、財務省との関係を構築し、企業と政府の関係を根本から変えた。貿易法をサービス業に拡大し、AIG初の政治活動委員会(PAC)を設立。トップ議員と直接つながるフォーラムまで作ってしまった。単なるロビイストではなく、会社を一歩先に進める「権力の仕掛け人」だったわけだ。
海外進出の戦略もユニークだった。AIGはアメリカ流を押し付けるのではなく、進出先の国とパートナーシップを組み、現地のリーダーを採用し、その国の旗の下でビジネスを展開した。「サウジ・アメリカン・インシュアランス・カンパニーという名前だった。我々は彼らの看板で運営したんだ」とコーエンは振り返る。このおかげで、他社には閉ざされた市場にも食い込めたという。
さらに彼は、環境責任保険や役員賠償責任保険(D&O)といった、当時はまだニーズが顕在化していなかった新しい保険カテゴリーを次々と開拓。「我々はAIが登場する前からAIをやっていた」と彼が言う通り、未来のリスクを先読みして商品を作るスタイルは、まさに先見の明だ。
そして今、その経験がEOSで活かされている。EOSは気象データを核にした保険査定・リスクインテリジェンス企業。ハリケーンや山火事、洪水のパターンといった気象データは、何十年もの蓄積があり、予測にも使える最も信頼性の高いデータセットだ。これを活用して不動産リスクを従来より精密に査定する。
ただ、面白いのは「データだけでは判断しない」というスタンス。コーエンは「データはそこにある。気象は最も深いデータセットだ。だが、その解釈にはやはり人間の判断が重要だ」と語る。EOSはデータをベースにしつつ、複雑で高額な不動産リスクの査定には経験豊富な人間の判断を組み合わせる。テクノロジーに取って代わられるのではなく、強化されるという考え方だ。
保険業界はこの20年で大きく変わり、かつての人間関係重視のビジネスからデータと自動化頼みになりつつある。コーエンはその両方を見てきたからこそ、「AIは特定の分野では非常に有効だが、リスクが複雑になればなるほど、人間の判断が必要になる」と冷静だ。
「誠実さと長期的な実績に基づいた人間関係こそが、最後に残るものだ」というのが彼の哲学。AIGを成長させたその考え方は、今度はEOSという新しいプラットフォームでよみがえろうとしている。データと人間の知恵、その両方を武器に、保険の常識を塗り替える日はそう遠くなさそうだ。
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